FC2ブログ

プロフィール

オロフレOnly

Author:オロフレOnly
遠ざかっていた山を20数年ぶりに復活させ13年。春夏秋冬、週一で一つの山だけを登っています。また封印していたクライミングを2017年春から再開。

カレンダー

07 | 2019/08 | 09
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

旧ブログ2007/6/27~2011/11/27 

最新記事

カテゴリ

月別アーカイブ

最新コメント

リンク

検索フォーム

QRコード

QR

『四国八十八ヶ所・歩き遍路スタンプラリーの旅』 その三十一

2015年1月4日(日)

オロフレ山に行かなかったとき、2003年に36日間で結願(けちがん)した四国歩き遍路を回想し、不定期に更新しています。

写真は当時の古い携帯で撮ったものが少しなため、主にストリートビューを写真代わりに利用しています。

単に自分の思い出を書いているだけなので、興味のない方には申し訳ございません。


2003年5月7日 30日目

三角寺~雲辺寺
宿泊した65番三角寺の7.3km手前にある三島パークホテルをいつものように早朝出発。遍路を始めた5日目から午後を過ぎ、後どのくらい歩けるか判断して宿を予約している。翌日の早朝出発という日課は変わらない。
三角寺への途中、通夜堂に泊まっていたお坊さんが私の後から付いて来る。そしていっしょに65番三角寺に着く。

佐賀温泉
彼と最初に遭遇した場所が土佐の37番岩本寺から10kmくらい来た所にある佐賀温泉の近くで4月23日だった。
私が早朝から30kmを歩き疲れ、道路端で腰を下ろし休んでいると、目の前を若い僧侶が颯爽と会釈して通り過ぎる。僧侶のいでたちはほとんど空身、風呂敷みたいなものをタスキ掛けしてるだけで軽やかに歩いていた。私が後を追うように歩き出すと彼は今日泊まるのか?佐賀温泉に入っていった。私は予約した民宿白浜まで12kmを残していたため、さらに歩き出した。
絵のようないでたちだったが、頭陀袋は下げていなかった。足にはわらじを履いていた。
僧侶
そして今日まで同じ方向を歩きながら何度か出会っていたが初めて言葉を交わした。この僧侶は名古屋のお寺の方で、阿波・土佐・伊予の三国区切り打ちで托鉢しながら歩いていたという。歩き遍路の中で一番多く目にしていたのが私だったそうだ。この伊予最後の三角寺で区切り、名古屋へ帰って行った。

境目トンネル
標高465mの三角寺から高原を下った標高100mあたりから境目トンネルまでの4kmで過去最高の暑さとなった。早朝から歩き始めると午前中に一度睡魔が襲ってくる。歩きながら居眠りして夢まで見た体験がこの辺りだったか。

水車(雲辺寺)
トンネルを出て下った所にあった食事処水車に入り昼食。何を食べたかまでは思い出せない。

佐野集落
国道から遍路標識に導かれ左に折れて佐野集落に入る。

民宿岡田
民宿岡田は歩き遍路のブログに多く出てくる宿だ。

佐野集落遍路標識
Y字路で左に。

雲辺寺登り口
雲辺寺への登り口はこんなに分かり易かったかな?
当時この辺りを通り過ぎて迷っていると、軽四輪に乗ったお爺さんが道を教えてくれた。そのとき「ここは分かり難いんだよね」といわれた記憶がある。

東谷
標高260mから標高670mまで尾根筋の急な山道を、汗をダラダラ搔きながらバテバテで登り、舗装道路に出て標高911mの66番雲辺寺までテクテクと歩いた。

民宿おおひら
雲辺寺の五百羅漢像を見ながら、今度は標高差710mを一気に下り集落に入る。

自販機
ここから今晩泊まる予定の民宿おおひらまでの5kmが長かった。ストリートビューでみると現在は自販機があるようだが、当時は見当たらず水分切れで大変だった。

おおひら
そしてヨレヨレになりながら民宿にたどり着いた。

民宿おおひらー大興寺
67番札所大興寺は民宿おおひらのすぐ裏にある。

行動表
行動表


歩行距離 37.2km

<< 2015年 初オロフレ山 | ホーム | 『四国八十八ヶ所・歩き遍路スタンプラリーの旅』 その三十 >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 ホーム